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養老孟司「半分生きて、半分死んでいる」感想

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家族がそれぞれ思い思いにテレビを見たり、ゴロゴロしたり、おやつを食べるなりして過ごしている。とても平和だ。

 

今日は、養老孟司さんの「半分生きて、半分死んている」をkindleで読んた。

半分生きて、半分死んでいる (PHP新書)

 

隈研吾さんも同じようなことを言っているような気がする。

なぜぼくが新国立競技場をつくるのか

 

半分生きて、半分死んでいるくらいがちょうどよいのかもしれない。

終身雇用は崩壊傾向にある。

仕事一筋で、あとがないより

自分の逃げ道を3つくらい用意しておいて、

あっちがダメならこっちで、と気楽にいる方が自分も相手も程よいおつきあいができるのでは。

 

養老孟司さんも、バリバリ働いていた頃は家で機嫌が悪かったそうな。

かくいう私もバリバリ働いていた頃は、よく怒るしよく泣いた。

 

あとがないと、自分も焦るし、焦りは判断ミスを起こす。

何事も余裕が大切なのだ。余白をもたせよ。

 

今は、そういったことが減り、仕事も軽くなったし、給料も軽くなってしまったが、穏やかな日の方が多い。あしたたべるご飯にも困らないし、余計なものは買わなくなったので部屋は綺麗だ。洋服も雑誌も漫画本も買う数が格段に減った。旅行も行かなくなったし、その辺でおやつを買うこともなくなった。率先して、掃除をする体力の余裕もある。

 

養老さんのまわりには、秀でた才能があっても金にならず、食いぶちを稼ぐために仕事と掛け持ちながら生きている人が多いそうな。

類は友を呼ぶではないけれど、私もそんな人たちと気があう気がする。

気があう人と、気があえばよいのである。

 

生きていたら、最後は死ぬのである。

では、何のために生きるのか。

 

 

 

それは、個々で考えればよいのだけれど

口だけだと口だけ。

行動することだけが、意思表示になるのである。

 

 

 

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